極低出生体重児で生まれた娘。障害が残ったけれど頑張る日々。

NICでの赤ちゃん 子育て

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はじめに

子供が生まれて成長していくことは、何ものにも代え難い幸せを感じます。しかし、時に厳しい現実に直面し悩むこともあります。私には3人の娘がいます。現在15歳で双子の「里桜」と「里菜」。2つ年下で13歳の「夏歩」です。双子の娘は、ともに極低出生体重児で生まれました。その影響で、「里菜」は足に障害を持ってしまい、現在も車椅子の生活を送っています。
この記事では、生まれてから今までの出来事を少しだけ振り返ります。この記事を読んで、同じような境遇で悩んでいるママやパパの気持ちが少しでも軽くなるお手伝いができれば、幸いです。

予定日より3ヶ月も早く出産

妻から妊娠の報告を受けたのは2008年の夏前でした。なかなか子供が出来なかったので大変嬉しかったことと、双子であるということに喜びと少しの不安を感じたことを覚えています。病院の先生の話では、翌年の3月下旬が出産予定とのことでした。妻は仕事を続けながらも、お腹の赤ちゃんを気遣いながら生活を送っていましたが、11月頃に管理入院が必要となりました。早産の危険があったのです。当時、私の仕事も忙しかったので、週に1回病院に様子を見に行くような状況でした。そして、忘れもしません「2008年12月23日」のことです。いつものように病院に様子を見に行くと、病室に妻の姿がありません。看護師さんに事情を聞くと、容態が急変して部屋を変わったとのことでした。そして、その後すぐに担当医に呼ばれ、今すぐ帝王切開の手術をして赤ちゃんを取り出さないと、赤ちゃんの命の保証はできないと説明されました。さらに、入院していた病院は、NICUのベットの空きがなく赤ちゃんの治療ができないので、近くの病院に救急搬送して手術するしかないのとの事でした。「お父さんどうしますか?」と聞かれましたが、「どうするもこうするもないでしょ!」が私の心の声です。「すぐ搬送して手術してください」とお願いし、妻は近くの病院に救急車で運ばれ手術を受けました。
手術を開始して、約3時間後に「里桜」と「里菜」が生まれました。手術は無事に終わり妻の体も問題がありませんでしたが、生まれた2人の小ささに驚きました。
「里桜 1,176ℊ」 「里菜 1,168ℊ」
NICUに移された後で、私も面会にいきましたが、小さすぎて怖くて抱くことはできず、指先で少し触れるだけしかできなかったことを覚えています。

     里桜

     里菜

妻が妊娠するまでの「妊活」のことや、NICUから退院するまでに、「里桜」の心臓の緊急手術など、いろいろと大きな出来事がありましたが、追々、記事にしていこうかと思っています

妹がなかなか歩かない

NICUから退院して子育てが始まりました。今思うと、実家にも帰らず、いきなり2人の赤ちゃんの世話を1人でしていた妻は、かなり大変だったと思います。大変ではありながら子供たちの可愛さに救われ、子育てをしていましたが、1歳になる頃から気になることが出てきました。姉の「里桜」は少しづつ歩き出しましたが、妹の「里菜」は、全く歩き出す素振りがなかったのです。極低出生体重児で生まれたため、ずっと定期的に病院には通っていました。その担当の先生から脳性麻痺の影響で歩くことが遅れているとの話がありました。脳性麻痺の原因は「NICUでの治療時に酸素量が多すぎた場合になる可能性がある」又は、「低体重で生まれたため、先天性の可能性もある」とのことでした。過ぎた原因を探るより、とにかくリハビリを少しでも早く始めることが大事と判断し専門の病院を紹介してもらい、リハビリを開始しました。その時点で、私達夫婦は、3歳くらいまでには里桜と同じように歩けるようになるだろうと希望的観測を含めて考えていました。ところが、4歳になっても歩けることはなく、車椅子での生活をすることなります。立って歩くことはできませんが、膝歩きは出来るため、部屋の中では膝歩きで過ごしていました。幸いにも保育所や幼稚園は里桜と同じところに通えましたので、当時お世話になった先生方には感謝をしています。

人間の体というものは偉いもので、環境に対応していきます。膝歩きをするため、最初は赤くなったり、青あざになったりして痛そうで、可哀そうで、「なんか良い方法はないかぁ」と考えていましたが、膝の皮は厚くなり、本人も痛くないようでした。
また、この間にも弱視等の脳性麻痺からの影響と思われる症状もでて、治療をしています。このことに関しましても、機会があれば、また記事に書こうと思います。

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両足の股関節が脱臼している・・・。

2015年、里菜が7歳になる年に、生まれてから最大級に私達夫婦が悩んだ出来事がありました。なんだか、里菜の足の様子に違和感を感じて、リハビリに通っている病院で詳しく調べてもらったところ、両足とも股関節脱臼を起こしているとのことでした。定期的にリハビリに通い診察をうけていたにも関わらず、こちらから申告しないと気がつかなかった医師に対して、私は相当な怒りが込み上げました。訴えることも視野に入れた上で、担当医師から直接説明を求めました。いろいろと納得しないことは、ありましたが担当医師が言ったことは次のようなことです。

医師からの説明
  • 脳性麻痺がある子供はよくある症状である
  • 当院は積極的な治療はしないので、診察時もレントゲンは撮影しない
    (重度の障がい者患者も多く、現状を維持する治療が主となる)
  • 治療方法としては、手術をするか、ギブスで固定して現状を維持するか
  • 当院では手術室もないため、手術はできない

上記が医師の説明内容でした。医師が言うことが正しいか否かは別として、本当に腹が立ちましたし、殴ってやろうかと思うほどの怒りが込み上げましたが、里菜にとってどうすることが最善かを夫婦で考え、少しでも不自由がなく生活できるようにしてやることが、私達ができることだと思い、いろいろと調べた上で決断することにしました。

手術をすることを決断

ネットでいろいろな情報を調べ、最終的にした決断は手術を受けることでした。現状維持の治療より、積極的な治療を選択したのです。ただ、決断はしても次のような懸念点がありました。

手術を受けた場合の懸念点
  • 予想より大きな手術になる
  • 手術を受け入院をする病院は隣県にある
  • 手術後、1年間は入院して付属の養護学校に通うことになる
  • 小学校に入学したばかりの里菜が1人で1年間を過ごせるのか

里菜の症状に対して手術ができる病院は、隣の県にしかありませんでした。そこには、腕の確かな信頼できる医師がいましたので、手術を決断しました。しかし、手術は両足です。手術内容は、全身麻酔をして足の付根の骨を切断して形を整え股関節に入れる手術。しかも、両足なので2回。金具で固定をするため、それを外す手術を入れると全部で4回の手術が必要となります。また、1年は入院をしてリハビリを続けること、学校は付属の養護学校に転入すること、1年間は、里菜1人で生活することが必要になります。里菜のことを思うと「やっぱり手術はやめようか・・・」と考えることが幾度となくありました。そこで、私たち夫婦は、里菜に全てを話して頑張れるかを聞いてみました。すると、里菜は、手術の恐怖を感じながらも頑張ると決心してくれました。それを聞いた私たちは、里菜の強さを感じたとともに、迷いがあった自分たちが恥ずかしくなりました。手術は必ず上手くいくという確信をもって、里菜を全力でサポートすると心に決めました。

手術はかなりの痛みを伴い大変でしたし、想像以上に里菜1人の入院生活は寂しかったですが、無事に退院までの期間を乗り越えました。一つ一つの出来事をこの記事で書くと、ものすごく長くなるので別の機会に書きたいと思います。

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現在は・・・。

現在、2024年1月ですが、里菜は中学3年生です。車椅子の生活は変わっていませんが、里桜と同じ中学校に通っています。そして、いよいよ高校受験がもうすぐです。高校では、里桜と初めて違う学校に行くことになると思いますが、頑張ってほしいと思っています。

これからの未来

正直を言いますと、里菜の未来を考えると心配なことはたくさんあります。でも、私たち親はいつか死んでしまいます。まだまだ、障がい者に対しては、十分な補助がないような場面が多々あります。しかし将来、里菜が自分だけの力で生きていけるように、私たち夫婦はできることを考えて時には厳しく、そして優しく育てていきたいと思っています。同じような境遇のパパやママの心配がなくなるような良いアドバイスはできなくて申し訳ないです。でも一つ言えることは、「子供は親が思っているより強い」ということです。私たち親は、子供たちを信じて、見守っていくことが大切だと思っています。

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